2002年5月1日から31日まで


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2002年5月30日

 落雷があったり、いろいろ。


カタバミの花
 庭の隅に咲いたカタバミの花

 今週もあっという間に過ぎて行く。25日土曜日の夜は、イメージフォーラム付属映像研究所の卒業生の作品上映会「サロン・ド・サイタマ」に行った。樋渡麻実子の40分のDV作品『ひき潮』に、久し振りゾクゾクとした感じを持った。常識の境界を越えようとしているが、不安が後から追いかけて来るという作品。人の真実を追究するということがとても難しい時代、ということにまともに向かっていっている。
 26日日曜日、夕方渋谷に壊れた腕時計を交換しに行って、帰りに、「Book1st」でCGIの本を立ち読みして、表に出ようとしたら、夕立になっていた。すぐ前の東急本店に駆け込んで大福とかせんべい、それにヒレカツを買い、スタンドでコーヒーを飲んで雨が止むのを待った。東急本店は改装してブランドの店の集合になった。地下の食品売り場も青山の紀伊国屋が入って高級化し、コーヒースタンドも軽井沢の何とかという自家焙煎の”高級店"になっていた。家まで15分、雨上がりの路を自転車で走った。気持ちよかった。家に帰りPowerMacで「MacPerl」をダウンロードしていると、また夕立が降り始め、今度は雷も鳴った。光ったかと思ったら、パリパリという音。ダウンロードが止まってしまい、他のWebページも開けなくなった。案の定、TA(ターミナルアダプタ)の緑と赤のランプが点滅している。電源スイッチを切って入れ直したが駄目だった。雷にやられた、と思った。3年前にもTAが雷にやられて付け替えた。またまた、雷だ。

 夜遅く息子が帰ってきて、彼の携帯で電話局に電話して、サポートセンターの電話番号を聞いた。明日9時半以降に電話してくれということだった。翌朝、近くの公衆電話まで自転車で行って電話した。「次は1,次は#」とダイヤルを辿らされたあげくに、かなりの時間を待たされて、出てきた女性が「コンセントを抜いたか」という。抜いてないというと、「抜いてから1時間ぐらい放置してみて、駄目だったら、もう一度電話を」というので、それで駄目ならTAが壊れていることになるのか、と問い返すと、そうなるという。壊れている場合、NTT-MEにやっても貰うと、作業員を派遣するので経費が嵩むから、自分で交換した方がいいのでは、ということだった。前のTAの付け替えはNTT-MEでやって貰ったが、今ではTAの交換など電話局のやることではなく、ユーザーがやることになったんだと了解した。戻ってTAのコンセント抜いてみる。なるほど赤ランプの点滅はなくなった。デジタルは通じる。つまり、インターネットはできるが、しかし、アナログ回線は通じない。やはり交換だ。そして、直ぐに新宿に行き、小田急ハルクに新しく開店した「BIG P 館」で一つアップグレードした「MN128miniSV1」というTAを買った。そこで、今日は麻理さんが出かけていないので、テスト通話が出来ないことに気がついた。急遽、テスト通話用に携帯を買うことにした。店のお兄さんに聞くと、安いのならこれですと、キョウセラのTUKAを出してくれた。字も大きいし、音もよく聞こえる。しかも、3900円。で、TAと携帯を買って帰って接続した。据え付け電話の受話器と携帯の受話器を左右の耳に当てて、つまり受話器で顔を挟んで「テストです。如何ですか。はい、OKです」と独り言を言って、電話の復旧は終ったという次第です。翌日は多摩美1年生に、グループ分けして討論させて書かせた10班分のシナリオと上演台本200ページを読み切った。それはそれで、驚いたりあきれたり考え込まされたり、だった。




2002年5月23日

 CGIにのめり込む。


ハルジオンの花
 庭に咲いたハルジオンの花

 庭にハルジオンの花が咲いた。こういう野の花が咲くというの本当にいいなあと思う。なんか懐かしい思いにさせられる。テーブルに座って午後の時間、暫く花を見て過ごす毎日。この19日にわたしは67歳になった。感想?、ですか。気持ちがめちゃくちゃになって行くような感じがあって、スリルを感じる。なにしろ、今CGIの泥沼にはまっているんですから。

 先週からCGIカウンターの設定にのめり込んでいる。多摩美の映像演劇研究室のサーバに設置したCGIカウンターが動かないというので、スクリプトを見てみたがどうもよく分らない。そこで、自分で本を見て、CGIのスクリプトを書き写してやってみることにしたのだった。CGIカウンターのスクリプトを書くためのPerlをちゃんと学習してないので、見よう見まねでやってみようというわけだった。スクリプトを書くのはWindows環境。「Windowsで学ぶCGI&Perl」という本を見てエディターで書き写し、httpdというサーバソフトを起動して、仮想URLで試してみる。わたしのパソコンでは簡単に動いた。そこで早速わたしのプロバイダーのcatnetサーバと研究室のサーバに送って試してみる。ところが、どちらのサーバもカウンターを表示してくれない。ここから、泥沼にのめり込み始めたというわけ。

 わたしのプロバイダーのcatnetのホームページには、CGIが使えると書いてある。研究室のサーバはWindowsNTを使ったサーバで、こちらは本当にCGIが使えるのかどうかわからない。そこで、単純に日時を表示するCGIを送って試みる。
現在の日時表示:catnetサーバ
現在の日時表示映像:演劇学科研究室サーバ
これは難なく動いた。この表示時間が違うのはサーバの時間の設定が違うということ。
 しかし、次に送った肝心のカウンターは動かない。研究室のサーバは「'D:\Inetpub\wwwroot\cgi-bin\count_1x.cgi' script produced no output 」と返してくるし、catnetの方は「ページを表示できません」だ。わたしのパソコンでは動くが、インターネットのサーバでは動かない。スクリプトがサーバのOSと合わないのか。そんなことってあるの?、という思い。何処か、スクリプトの設定が違うのだろうとは思うが、見当も付かない。そこで、清水鱗造さんの「Urokocty_BBS」に投稿して助けを求めたのだった。

 早速、中村加寿志さんがわたしの質問を受け止めてくれて、いろいろと示唆を与えてくれた。それに従っていろいろやってみた。スクリプトのカウントする部分だけを抜いて、別のCGIファイルを作ってみたり、それに中村さんが作ってくれたカウントファイルの読み込みが成功したか失敗だったかを表示するスクリプトを付け加えたりしてテストした。
 @niftyのサーバに送った方は、カウントはしているが、数字の画像が出てなかった。これには萌木碧水さんが@niftyでの画像ファイルの出し方について教えてくれたので、それに従って、画像表示のパスを書き換えたら、画像が表示された。@niftyではCGIカウンターをリンクから直接動かすことは成功したというわけ。しかし、CGIカウンターはCGIを自動的に動かすコマンドをSHTMLファイルに埋め込むSSI方式だが、それはどうもは駄目だった。
@niftyのcount_1x.cgi
 @niftyでは成功したが、catnetの方がうまく動かないのは、中村さんの助けを借りて、テストを繰り返していくうちに、どうもこのCGIスクリプトの中に読み込まれるべきサブルーチンのファイル(sub_lock.pl)がちゃんと読み込まれていないからではないと見当が付いてきた。catnetは読み込みファイルのパス設定を、絶対パスの設定にするように指示している。指定の設定パス./usr/users/WWW/htdoc/catnet/bin/を使ってみたが、動かない。
 そこで、telnetでcatnetのサーバの中に入り、ディレクトリをさまよい歩いた。catnetのサーバはUNIXのサーバなので、UNIXのcdコマンドとlsコマンドとpwdコマンドを使って動き回った。そこで、/catnet/bin/をわたしのディレクトリの/srys/bin/に書き換えなければいけないことにようやく気がついたのだった。早速書き直してやってみたが、やはり動かない。またまた、中村さんの指示を思い出し、単純な時間表示ファイルを読み込むCGIを作りテストした。
時間表示サブルーチンテストmaintest.html
 これで相対パス"./sub_gettime.pl"は駄目で、絶対パス"./usr/users/WWW/htdoc/srys/bin/sub_gettime.pl"なら読み込みが出来ることが分った。しかし、CGIカウンターにこの絶対パスを書き込んでやっtみたが、駄目だった。またtelnetでサーバに入り、サーバ内で実行してみる。

サーバ内でのコマンド実行のlog

micky:	{8}	cd	/usr/users/WWW/htdoc/srys/bin/
micky:	{9}	ls
count.log	data_31x.cgi	rewrite01x.pl
count_1.cgi	html1.cgi	sample_data01.txt
count_1x.cgi	html2.cgi	sub_lock.pl
count_1x01.cgi	images	time3.cgi
count_1x02.cgi	lock
micky:	{10}	./count_1.cgi
Can't	locate	./usr/users/WWW/htdoc/srys/bin/sub_lock.pl in	@INC	(@INC	contains:
/usr/local/lib/perl5/i386-freebsd/5.00404	/usr/local/lib/perl5	/usr/local/lib/pe
rl5/site_perl/i386-freebsd	/usr/local/lib/perl5/site_perl	.)	at	./count_1.cgi	li
ne	4.
micky:	{11}
 これはsub_lock.plが探し出せないといっているのだと、中村さんが教えてくれた。時間表示と同じ絶対パスを書いているのにおかしい。そこで、サーバ内で時間表示の二つのCGIを実行してみた。その結果は次のようになった。
micky: {2} cd /usr/users/WWW/htdoc/srys/bin/
micky: {3} ./main01.cgi
Contrnt-type: text/html

2002年05月23日(木)00時54分56秒micky: {4} ./main02.cgi
Can't locate ./usr/users/WWW/htdoc/srys/bin/sub_gettime.pl in @INC (@INC contain
s: /usr/local/lib/perl5/i386-freebsd/5.00404 /usr/local/lib/perl5 /usr/local/lib
/perl5/site_perl/i386-freebsd /usr/local/lib/perl5/site_perl .) at ./main02.cgi
line 3.
micky: {5}
 なんと、サーバ内では相対パスを使った方がちゃんと実行されて、絶対パスを使った方がエラーになっている。つまり、インターネットでアクセスする場合とサーバ内で実行する場合とではパスの設定が違うということ。ということは、読み込みに成功した絶対パスの時間表示CGIと同じパスを使ったCGIカウンターがサーバ内での実行でエラーになったということは、サブルーチンは読み込まれているということになる。しかし、現実にはCGIカウンターは動いていない。何故だ???



2002年5月16日

 道ばたに咲いたナデシコの花。


ムシトリナデシコ
 道ばたに咲いた虫取り撫子

 家の玄関を出た斜め前の路の向こうに、ピンクのかわいい花が咲いた。虫取り撫子という花だった。こういう可憐な花が好きだ。わけもいなくいいなあと思ってしまう。
 さて、4月からの新学期が始まってもう一月半、「イメージフォーラム・フェスティバル2002」も東京での上映が終って、日常生活のパターンも決まってきた。わたしの生活は多摩美に行って講義したり、学生と接したりし、またイメージフォーラム付属映像研究所で生徒の作品を講評するという先生業、それと自分の関心事に時間を過ごすこと、この二つに分けられる。先生業は夕方から夜遅くまで、昼間は自分の関心事と昼寝。

 多摩美での授業は6コマ持ているけど、4つは演習で、講義するのは2コマ。1年生に表現について話す授業と4年生に映像について話す授業。表現についての話は、その4コマ1科目の表現の基礎訓練をやらせる演習「空間表現基礎」に沿って進めて行く。この「空間表現基礎」は海老塚耕一さんや、川口晴美さんや、島尾伸三さんに手伝って貰っていろんなことをやらせる授業。講義では、そのいろんなことの「深い意味」を話す。
 「空間表現基礎」の最初の授業は「夜の散歩」、多摩美上野毛キャンパスから多摩川まで、夜間学部だから夜、住宅街を縫って真っ暗な多摩川堤まで散歩する。ただ散歩するだけでなく、何か拾ってくる。次の時間にその拾ってきたものをネタにした「嘘の話」を作って、みんなの前で発表する。話すのがうまい学生もいるけど、多くの学生は話を紙に書いてきてそれを読むという具合だった。そこで、わたしの講義では、「話を書いた」ということを問題にした。「話」は「話す」のもので、「書く」ものではないんじゃないの、というわけ。「話」を「書いて朗読する」と思いこんでいる。「話」は「話し手」と「聞き手」の場を生む、言葉はその場を生かすものあるはず。教壇に立って「読まれた話」は面白くなかった。場が生かされていない。「話」というと「お母さんから本を読んで貰って育った」からそういうことになったわけで、つまり「書き言葉に支配されている」とういうこと。昔のおばあさんおじいさんは「話」を読んで聞かせるなんてことはしなかった。そこには「文字」があると、「文字が無い」ということがある。文字のある文化と文字の無い文化。そもそもも文字で書かれた最初のものって何だ。「古事記」とか「日本書紀」って、国に歴史。昔は偉い人しか文字を使わなかった。しかし今は誰もが文字を使う。本を書くと偉い人と見られる。まあ、みんなはそういう文化の中にいるというわけ、というような「講義」になる。昨日は、この「話」の問題はもう少し進んで「物語」には「始まり」「中間」「終り」があるとういう「形」のこととなり、その「形」を作るのが「表現」なんだ、というところまで行った。

 学生に課題を果たし、そこから問題を引き出していくというやり方は続けたい。これは素手でやっていくという感じで面白い。教員生活っていうのは、カリキュラムに従って進んで行くのでパターン化しやすい。中身でパターンを破っていかないと飽きてしまう、ということですね。





2002年5月7日

 タンポポの綿毛が飛ぶ。


タンポポの綿毛
 タンポポの綿毛

 「イメージフォーラム・フェスティバル2002」の新宿パークタワーホールでの上映も昨日で終った。「山北作業所」の上映も無事済んで、お客さんが沢山来てくださった。一人ワンプログラムの回としては一番入ったとかいうことだった。皆さんのおかげです。感謝します。なにしろ、客の入りが一番心配だった。それを何とかクリアして、作品の評判もよかったから、今回は成功と思います。次の作品の励みになります。どういう作品を作るかは、まだ決めてませんが。関西在住の方は、是非京都での上映をご覧になって下さい。

 この連休は、連日、間に二日間を除いて毎日新宿のパークタワーホールに通った。日本の作家のプログラムは全部、それにジェームズ・ベニングの3部作といくつかの外国作品のプログラムを見た。奥山順市さんの作品に笑い、石田尚志さんとヨースト・レクフェルトさんの作品に吃驚して感歎、かわなかさんの語り口に感じるところがあり、坪田くんの作品に映像表現のパラダイムシフトを予感した。ベニングの100フィートワンシーンの作り方は刺激的だった。撮影したり、それを見たりする人間っていうのは一体何だ、という思考が湧き出てくる。それにしても、若い人の作品には、家族や同棲者を扱ったものが多かったなぁ、という感慨が湧く。わたしもそうだけど、隣りの人しか見えない時代なのかも。

 3日は、見るプログラムの間が5、6時間空いたので、家の麻理さんのパソコンが最近止まったり動いたりで躓きがちになったので、代わりのパソコンを買って、一度家の戻ってまた会場に引き返した。DOS/Vパラダイスで、44800円のスリム型のを買い、メモリを256MBに、ハードディスクを40GBに増設、WindowsMEをインストールしたら、69500円になった。OSが一番高いのを実感。セレロン1GHzで快調に動いている。

 4日には、IFF2002の2つのプログラムを見た後、池袋のジュンク堂に駆けつけて、吉増剛造さんと関口涼子さんのトークセッションを、書肆山田の一民さんからDVで撮ってと頼まれて撮影した。お二人に会うのは久し振り。日本語とフランス語の朗読。話題は多言語の朗読の重なり合いということ。何十年も朗読をやっている吉増さんが、自分は朗読否定論者だと言ったのには驚いた。そうか、吉増剛造は朗読を否定するために朗読をやっていると言うわけ、と理解した。確かに、剛造の朗読は朗読じゃないですね。その日も、瞬間、気合いが入ったところがあったけど、あれは朗読じゃない、と感じた。

 というわけで、何かと忙しい連休でした。



2002年5月2日

 散り始めたダイコンの花。


散り始めたダイコンの花
 散り始めたダイコンの花

 4月30日に、西新宿のパークタワーホールで開かれている「イメージフォーラム・フェスティバル2002」で、わたしの作品「山北作業所」が上映された。今年は、わたしの作品だけで一つのプログラムなのでお客さんお入りが心配だった。しかし、当日客席がほぼ埋まったのでほっとした。上映後の作者挨拶で、よけいなことを言ったかと気になったが、気をよくしてのことだった。ロビーでは、暫くぶりの知人友人の顔があって、次から次へと笑顔で渡って、嬉しくて興奮して、ろくに話も出来なかった。それが残念だった。とにかく、それぞれの人が何かしら受け止めてくれたような顔つきだったので先ずは安心した。

 昨日5月1日は家にて久し振りに本を読んでいた。5月の日差しの中、3月から咲き始めたダイコンの花が散り始めていた。わたしはこの花が好きなので、来年も沢山咲いてくれるといいな、という思い。日差しに見入ると、懐かしいという感情に捉えられる。これは一種の至福感なのかもしれないと思い、危険だと思う。何も終っちゃいませんよ、と自分に向かって言う。夜遅く、外の遊びに出た家の猫が何処かで鳴いていると、麻理さんが外に出てみると、隣の屋上の縁で降りられなくなって鳴いているのだった。麻理さんは「梯子を掛けて、、」なんて言うが、とても駄目。放って置いたら、暫くして何処を巡ってか、帰ってきた。





     
 








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