2002年11月1日から30日まで


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2002年11月25日

 スズランの実が色づいた。


スズランの実
 庭で色づいたスズランの実

 昨日、一昨日と多摩美の造形表現学部の平成15年度入学の「社会人入試」があった。もう来年度が始まったというわけ。校庭の真っ黄色に色づいた銀杏の葉の下、雨の中、受験生が試験場に入るのを研究室の窓から眺めて、彼ら彼女らの中の何人かと来年の春には顔を合わせることになると思うと感慨を覚えた。試験が終った後、その新入生の新しいカリキュラムの進行の最終的な打ち合わせをした。そして彼ら彼女らに手渡される「履修案内」の原稿を書いた。

 今日の午後、久し振りに秋葉原に行った。中古のポケットPCを買おうかと思って、ある目当てのものを探したが、なかなか見つからなくて数軒見て歩き回った末にやっと見つけたら、9万円近い値段が付いていた。思っていた以上に値段が高いのと、やはり画面が小さいのが気になって買うのは止めた。ウインドウの中に並べられているところにメモリ容量などのスペックが細かく書かれたカードが付いていたが、その字が小さくて老眼がかなり進んだわたしには読めなかった。それが読めないようじゃ、使う資格がないと諦めた。諦めた代わりに、何か買いたい意欲が湧いてきて、小型のノートパソコンを衝動買いしたい気になって、ソフマップとかラオックスとかを見て歩いた。東芝の「Libretto」が気に入ったが、中古では10万円ぐらいだが、新品だと18万近いので、即座に買う気になれず、買わないで帰ってきた。Webで評判を見ると、どうやら近く新しい型が発売になるような噂だった。

   帰る頃、夕方近く雨も止んで、雲の切れ目が夕焼けで染まっていた。雪国みたいな感じだった。路上に濡れた枯葉が重なる晩秋、冬も迫っている。



2002年11月20日

 ミシェル・シオン著「映画の音楽」をようやく読み終えた。


「映画の音楽」
 わたしが読んだ「映画の音楽」

 「図書新聞」から書評を頼まれたミシェル・シオン著「映画の音楽」を先週ようやく読み終えて、その書評を書くことができた。原稿締め切りを延ばしに延ばしということになって、編集部には迷惑を掛けてしまった。が、わたしにとってはこの本と出会えたことは幸運だった。2段組で379ページ、読み応えがあった。映画音楽の歴史、映画に於いての音楽の働きについての理論、アメリカとヨーロッパを中心とした多数の映画監督と作曲家の音楽の使い方、それらが詳細に語られている。わたしはずいぶん沢山映画を見てきたつもりだが、「映画を聴く」ということをしてなかったのが歴然として、我ながら自分の鈍感さに唖然とした。実際、音楽を覚えている映画って数が少ない。しかし、この本の著者はわたしが忘れている音楽を、あの作品ではこうだった、また別の作品ではこうだったと詳細に語るので、全く圧倒されてしまった。

 決定的だ、と思わされたことは、無声映画時代に西欧では劇場で上映されるとき既にオーケストラが伴奏していて、映画がオペラと重なって受け止められていたということだった。わたしが聞かされていた無声映画の伴奏といえばバイオリンに弁士ということ。映画の音楽と言っても余りにも違う。その伝統を踏まえて、ヨーロッパの監督もアメリカの監督も映画の音楽というものを考えている。日本の映画監督も音楽を軽んじていたわけではないが、音楽について語っているのを聞いたことがなかった。しかし、この本には、西欧の監督たちの自分の映画の音楽についての談話や文章が沢山引用されていた。なるほどねえ、という思いだった。別の考え方をすれば、監督たちには音楽を好きな人たちが多い。彼らは日常的にオペラを見たり演奏会に行ったりしているように思えた。特に、ベルイマンやレネの映画そのものが、クラシック音楽の楽曲の構造を持っているという分析的な記述に出会うと、そうだろうな、と思いながらも、音楽が浸透している様を改めて思い知らされるのだった。その、それぞれの映画の音楽をわたしは殆ど忘れているので、今度改めて音楽に注意を集中して映画を見直して見たいという気になった。



2002年11月2日

 十月は、忙しかったなあ。


朝顔の種
 朝顔の種

 10月は「曲腰徒歩新聞」を一回しか更新できなかった。開設以来初めてのこと。気になっていたが、手が回らなかった。この10月、一体、わたしは何をしていたのだろう。「映画の音楽」(ミシェル・シオン著)という本の書評を頼まれてから一ヶ月以上たった現在、、2段組379ページのこの本がいまだに読み切れずいる。一ヶ月の間で、これだけがはっきりしている。全部読み終わったら映画に対する考え方が変わってしまいそうな本だ。是非とも早く読み切ってしまいたいと思いながら、読む時間が持てないのが悔しい。

 では、わたしは何をしていたのか、ということになる。切り取った10月のカレンダーを見て記憶を辿ってみる。先ずは月初めに写真展の写真の撮影した。そして多摩美の1年生が作った73人の「人生本」を総て子細に読んだ。これが数日掛かった。また1年生一緒に歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」とルパージュ作・演出、イブ・ジャック出演の「月の向こう側」を見に行った。それから演劇といえば、多摩美の卒業生の中地美佐子が出ている「びっくり箱」も見に行った。そして22日から28日まで、わたしと石井茂さんとの写真展があった。月末の28日と31日には、11月1日から神奈川県民ホールギャラリーで開かれている「海老塚耕一展」の作品の搬入をビデオで撮影して、それを31日の夜中まで掛かって、会期中に会場で流す8時間10分のビデオテープに仕上げた。ひと月の間に舞台を3本見るなんて、何十年も無かったことだ。そうそう、今月から多摩美の一般の人を対象にした「生涯学習」で久し振りに「詩について講義」も始めたのだった。まあ、こんな具合に忙しかったわけだ。

 今日は久し振りに一日中家にて、「映画の音楽」を読まなければと思いながらぼんやりとしている。庭の朝顔が種を付けたのを見つけて、デジカメ撮影した。先日からアンダーシャッツを長袖にしたが、今日はまた冷えるなあ、と思っていたら、夕刊に東京地方に木枯らし1号が吹いたと出ていた。







 
 








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