2002年10月1日から31日まで


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2002年10月12日

 いやはや、「曲腰徒歩新聞」の更新が遅れた。


「咲く夜を縦に裂く」の舞台
 多摩美2年生の発表会
「咲く夜を縦に裂く」の舞台

 「曲腰徒歩新聞」も九月を過ぎて7年目に入った。と、途端に更新が遅れてしまった。病気だったわけでも、サボっていたわけでもない。とにかくパソコンの前に長く座っている時間が持てなかったのだ。愛読者の皆さんには申し訳ありませんでした。忙しいのを売り物にするのは嫌だけど、何か慌ただしい毎日だったのです。

 昨日、22日からの写真展に展示するプリントが上がって取りに行ってきた。その写真が、9月の末では36枚撮りのフィルム一本しか撮ってなかったので、ちょっと焦ってきて、10月の2日と3日の二日間で撮りまくり5本撮った。2日は神宮前二丁目を撮り歩いて3本撮り、3日はプリントを頼むクリエイトフォト・タカがある四谷の荒木町、須賀町を撮影して、そのままフィルムを持ち込み現像とベタ焼きを頼むということになった。つまり、二日間で180コマのシャッターを切ったということ。こんなにシャッターが切れるなんて若いですね、と現像所のおじさんに褒められ、嬉しかった。

 神宮前二丁目を撮り歩いたのは、表参道を挟んで渋谷側は昔からよく歩いていて、今は住宅街にブティックや小さなレストランが散在する街になっていて面白い、そこで表参道の裏の外苑側はどうなっているのか、と思い、歩いてみた。こちらも、ブティックが散在する街になっていたが、歩いている若者の数はずっと多かった。ブティックといってもTシャツやスポーツシューズを売る店が殆どの感じだった。わたしから見れば似たり寄ったり若い人たちの衣装が、この街ではそれそれ違いがあるものとして受け止められているんだろうな、と若い人たちを見ていて実感した。ビルが少なく、一戸建ての古い家が多いので、魚眼写真的には面白かった。くたびれて入った喫茶店で、常連と思われるサラリーマンが何処か東南アジアの国に転勤なって明日出立すると話していた。

 荒木町は二年前にも撮影して、そこにあった「モール」で最後の写真展を開いたので、既に「モール」がなくなったそこを訪ねてみたいと思ったからだった。「モール」はなくなったが、建物も看板もそのままで、ドアには郵便物がねじ込まれていた。荒木町は古い飲屋街で、路地の敷石も昔のまま、階段を下りて一番低いところに沼がありその脇に神社がある。そして階段を上って一つ小さな尾根を越えるとまた低い土地になっているといった具合に、起伏があるので、写真を撮るのには面白い。イメージフォーラムが青山に移ってから久し振りに、講師をしていて二十年余り通った教室のあったビルにも行ってみたが、その痕跡はもう全くなかった。そのイメージフォーラムがあった不動産会館ビルの裏手が須賀町だ。須賀町は寺の多い街だ。地図で見るとかたまって15、6はある。四谷怪談のお岩稲荷もある。実はこの街に足を踏み入れるのは初めてだった。マンションが多いが、古い家も残っている。歩いていたら、共同井戸の名残のポンプにも出会った。ここも、東京とは思えないような風景に出会える街だった。信濃町から表通り一つ渡ると大京町で、その住宅街にプリント屋さんのクリエイトフォト・タカがある。最後のショットは、着物を着た中年の女性がトタン板の塀の前を通り過ぎるところを撮ったが、後でベタを見たら、これは使えなかった。4日にベタ焼きを貰い、7日にプリントを注文して11日の昨日出来上がりというわけ。

 この撮影の前の日に、多摩美の2年生発表会で演劇の上演作品「咲く夜を縦に裂く」を見た。背丈が4メートルはあるピアノの鍵盤をまとった巨大な人形人物と男を骨抜きにする按摩の姉とそれを引き継ぐ妹が登場し、姉の本命のお婿さんが現れると井戸から白煙が立ちのぼり汽車の音が通り過ぎるという舞台だった。話を辿れば、姉はお婿さんが欲しいが、衣装戸棚から出て訪ねてくる男はみな軟弱で姉の手でもみほぐされて井戸に捨てられる。赤いトマトが食べられない妹は、姉の行為を遊び友だちの巨大な鍵盤衣装の人形のスカートの中から盗み見している。そして姉の真似をする。と、戸棚から出た男が姉の按摩の手をはね除けて、姉の身体をまさぐる。姉はこの男こそ本命と二人は汽車の煙に包まれて踊りながら家を去る。そのとき、天井からトマトがどどっと落ち来て、今度は妹が按摩になって客を呼ぶ。10月1日の夜は台風21号が東京を通過して、この舞台が上演されいる時が、その真っ最中だった。演劇スタジオはプレハブ式の建物なので、屋根に吹き付け、シャッターを叩く雨と風の音がもろに聞こえる。これが舞台効果となって盛り上がった。

 次から次へ意表をついて展開する舞台をわたしは楽しんだ。実際面白かった。出演者一人を覗く全員が女性だけで作った舞台で、その女の子たちの全員から出されたアイデアで出来上がったということだった。その若い女性が作った舞台というところで、わたしは女性の通過儀礼を象徴的に表現したものと受け止めた。彼女たちにも、その線で批評した。姉は自分にふさわしい男を求めている。妹は初潮を迎え、子どもから大人に成長して姉の跡をついで行く。背景で、彼女たちの心を育んだピアノが巨大な人形となって見守っている。日本人の衣装、アメリカかぶれの衣装、フランスかぶれの衣装の3人の男たちは上手奥に据えられた洋服ダンスから出てきて、姉に揉みほぐされ骨抜きになって井戸に捨てられる。巨大な鍵盤人形はときに寂しい歌を歌う。そして、姉はお婿さんを得て出て行き、妹がその跡を継ぐ。「女ってこんなもんでしょう」というやや自虐込めた自己主張といえるだろうか。

 今回の2年生の発表会は、女子学生が多いということもあるが、おんな性を強く出た作品が多かった。まるで女の子ワールドだなあ、とやや性差別的な発言をうっかりしてしまって、こりゃ、やばい思った次第。でも、人が入れる万華鏡が作って展示されていて、寝転がってそれに入ると、脳の中が透明になるような体験ができて気持よかった。そういうのって、男の子には考えられないような作品だと思う。多摩美の映像演劇学科の発表会は楽しい。来月は3年生の発表会があるので楽しみです。興味ある方は見に来てください。







 
 








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