久し振りの魚眼撮影。
9月22日に撮った魚眼写真のシートベタ |
来月の22日(火)から渋谷のGallery LE DECO「ルデコ」の5Fで、石井茂さんと二人で写真展をすることになった。わたしにとっては2年振り。一昨年まで、毎年、夏に四谷にあった写真ギャラリーの「モール」でやっていた。「曲腰徒歩新聞」に書いたその時々の感想。
1998年
1999年
2000年
2000年
魚眼写真は撮るのが面白い。肉眼で見ていて、目を留めて、というより目が引き寄せられて、ここぞ、とカメラのファインダーを覗くとまるで感じが違う。その違いのスリルが何とも言えない。そしてプリントしてみるとまた違う。何処までも人の眼には合わない。その人の眼に合わないところに平面に風景を嵌め込む。人の眼って絶対じゃないよ、といいたいわけ。
今度の写真展の写真は夏休みに撮るつもりだった。しかし、それにしても、この夏休みは「カラザ02」に時間を取られた。そして、9月になっても、やたらに忙しく、写真を撮れずに半ば過ぎた。展示には20点から25点といわれていたので、200コマぐらい撮らなければならない。ちょっと焦りが出てきたところ。もっとも、1996年の夏は、5月から7月まで肝炎で入院していて、退院してふらふらする身体で撮り歩き、8月の写真展に間に合わせたのだった。そのことを思いながら、先週の日曜日に墓参りした後、亀戸の寺の近くの密集した家々の隙間を撮影した。家と家との間、それがなんだか面白い。
秋空に朝顔。
秋空を背景に咲く朝顔 |
あっという間に十日あまりが過ぎてしまった。もう晴れていても曇っても秋、という実感が迫ってきます。先週から長袖のシャッツに一重のジャンパーを羽織って外出している。「カラザ02」が終って、翌日から多摩美の後期が始まり、久し振りの講義、教授会、学科会議、来年からのカリキュラムの説明、一年生を連れて「富士山麓セミナーハウス」に一泊二日の合宿、渋滞で五時間あまり掛けての帰宅、学科内の助手副手との話し合い、イメージフォーラムの「夏休み作品」の講評、それに加えて「日本近代文学館」の「声のライブラリー」で詩の朗読までやってしまった、等々で、休む暇もなかったというわけ。パソコンの前に腰を据えるということもなかった。で、JavaScriptもSVGも頭からすっ飛んでいる。ちょっと、自分が自分でない感じになっているわけです。
この「自分が自分でない感じ」というのは、今のわたしには悪い感じではないのです。自分のセルフイメージが変わりつつある。本屋に行って昔親しかった人たちの本を見ると、とても遠くなったという感じを持つ。その感じに合わせて自分も変わったということになる。この主観的な「感じ」というやつは、他人には分らないところだろう、と自分で思ってしまうのです。飛躍した例ですが、数学の本を読んでいて、「1+2+3+・・・・+100を計算するのに、2S=(1+2+3+・・・+100)+(100+99+98+・・・+3+2+1)=101×100として計算すると、5050が直ぐに出せる」と書いてあって、そこから2S=n(n+1)という公式が導き出されてくるんですが、それを読んだわたしは、この2S=と置く考え方に唖然として、そういう考え方って数学をやる人にとってごくごく当たり前のことなんだろうが、その「当たり前はどこから来たのか」という疑問が湧いてきて、「裂け目」を感じる、その「感じ」にこだわるところに今のわたしはいるということなんですけど、こういういことはなかなか他人は分りませんよね。
なんだか変な文章になってしまいました。
「カラザ02」の上演は無事に終了。
「カラザ02」開演前の舞台で、 身体をほぐすダンサーたち。 |
「カラザ02」会場入り口付近 |
3回の上演はあっという間で終りました。「カラザ02」の公演の7日初日の2時、開演前は緊張した。前日の稽古で、トップの映像を投影するビデオプロジェクターがオーバーヒートして絵が出なかったりしたので、扇風機を掛けて冷やして置いたものの、絵が出なかったら、という心配が残っていたから。いざ始まってみると、映像は無事に出て、初回の上演は無事に終り、それから夜の2回目、昨日の昼の3回目と、本当にあっという間に時間が過ぎた。客の入りも、3回で396席のところ295席が埋まり、2回目3回目の上演はほぼ満席だった。見に来てくださったお客さんには感謝の気持ちでいっぱいです。わたしが勤める多摩美の映像演劇学科の学外公演は初めてのことであり、研究室、卒業生、在校生が揃って活動するというのも初めてなので、是非とも成功させたかったのです。そして大学から研究費が出ている催しなので、理事長や教務部長が見に来て、わたしとしてはほっとした。
映像と演劇の教育を標榜する学科で、その両方を統合する形の「表現」を学外の場で実現したということで、今回の目標は一応達成されたと、やる方のわたしたちは考えるのですが、見に来てくれたお客さんにとって、珍しい試みを見たという印象に終ってしまったのではないかというところは考え直さなくてはならないと思いますね。先ずは組織が先にあるという大学で、そこに集まってきた者が、それそれ表現を目指しているところで、共同して一つの意味合いを生み出して行くというのは、それぞれがそれぞれの表現を持っているだけに、きわめて困難なことなのです。でも、個々バラバラに表現をしていて、その「個々バラバラの表現」を維持しながら、何か一つの意味合いを共有したいという気持ちが生まれつつあることも確かなんです。そこで、この試みは、それを敢えてやってみようと言うことだった。もう一つ、多摩美の「映像演劇学科」というのがまだ余り知られていないので、その宣伝にもなればとも思ったのですが、その存在感を得るにはやはり独自な「表現」がなくてはならないということの手探りでもあるわけです。今回は、一つの意味合いを共有するというところまでは行き着けなったけど、言葉、映像、サウンド、身体、空間、照明の「出会い」はあったわけで、この出会いを友情の縫い糸で縫い合わせて行くことで「新しい表現」が生まれてくるのではないかと期待したいところです。
今週末、いよいよ「カラザ02」の上演。
「カラザ02」稽古風景その1、 ダイバーとぐんにゃり女。 |
「カラザ02」稽古風景その2、 ねえ女。 |
「カラザ02」稽古風景その3、 16シーンお始まり。 |
「カラザ02」稽古風景その4、 そのクライマックス。 |
夏休みも最後の週になった。この夏休み最後の9月7日(土曜)と8日(日曜)、三軒茶屋の「シアタートラム」で、映像演劇学科の共同研究発表公演「カラザ02」が上演される。夏休み前のスタッフキャスト全員の打ち合わせから始まって、この夏休みは、殆ど「カラザ02」で終始して、いよいよ大詰めに来た。わたしの役割は全体に目を配るというということだが、わたしがやったことは、もっぱら、暑い中、連日稽古や準備に励む若い人たちにアイスクリームを買って行って、傍らに立ち会っているということだった。毎日毎日少しずつ舞台で上演される姿が出来上がって行くのを見るのは楽しかった。映像演劇学科の「共同研究」ということは、映像とサウンドと舞台美術と身体パフォーマンスがぶつかり合ったところで、どんな表現が可能なのかを探るところにある。
「カラザ02」は、研究室の若手の教員と助手副手が主体になって、そこにそれぞれの表現で世間的に認められ始めた卒業生と外部の若手の表現者が加わり、2年前から話し合いを進めてきて、先ず一つのテキストを作り、それを元に参加者がそれぞれのイメージを広げ、実現すべきものとして持ち寄り、演出者がそれを上演の場で統括するという仕方で進められた。テキストの内容は、イメージやことばなど様々なインフォーメイションが溢れるこの社会で「コミュニケーション・インポテンツ」に追い込まれる人々の姿をイメージ的に表そうというもの。はじめは参加者のイメージが広がりすぎて収拾がつかないような状態だったが、身体のパフォーマンスが稽古という形で現れてたところで、全体の姿がやっと見えてきたという感じだった。わたしとしては、その経過は結構スリルがあった。ここに表示した画像を取り込むためにビデオを見ていたら、明日4日から舞台入りすると、「もうこの稽古場での瞬間は二度と戻らない」と感じて、感傷的な気分になったのには、自分でも驚いた。制作する過程に立ち会っていたということが、思っている以上に心に刻まれている。なかなかいい感じだ。この感じが見に来た人に伝わるといいなあ、と思う。