MacOS X 事始め。
目の止まった朝顔の種 |
srysはわたしのログイン名で、そのわたしのホームディレクトリにどんなディレクトリとファイルがあるのかなあと確かめてみたところですね。それから、root userになって入ろうとしたら、Last login: Sat Feb 22 19:59:34 on console Welcome to Darwin! [Macintosh:~] srys% ls -a . Documents . Library .CFUserTextEncoding Movies .DS_Store Music 0??????????????????????????? Public 0?????????????????? Sites 2 ????????? Desktop
といった具合に、パスワードを要求されて拒絶された。本で見ると、一般ユーザーがOSの中核に入れないように設定されているとか。次に研究室に行ったとき、その入り方を調べて入ってみよう。MacOS Xは面白うそうですね。[Macintosh:~] srys% pwd /Users/srys [Macintosh:~] srys% cd /Users [Macintosh:/Users] srys% ls Shared srys [Macintosh:/Users] srys% su Password: su: Sorry
新作映像作品『衰退いろいろ2002』の編集を始める。
DV編集のコーナー |
総て授業が終って、成績を出してほっと一息。
枯れたチューリップの花 |
先週の土曜日8日、1年生の「グループ企画制作」という表現活動の発表会の講評会があって、多摩美・映像演劇学科の今年度の授業が総て終って、9日の日曜日に3年編入の入学試験があった。一息ついて、いよいよ入学試験の期間に入る。映像演劇学科の一般入試はそのしんがりで、3月の11日と12日。それまでの間息が付ける。といっても、その一月の間にわたしは映像作品を一つ作ろうと思っているから、のんびりとしてはいられない。
わたしはここ数年、毎年1年生と付き合ってきた。現在67歳だから、20歳前後の彼ら彼女らとのつき合いは、孫と付き合うという感じだ。生活意識の違いは勿論のこと、物事の考え方や人との関係の持ち方が、「違うなあ」と感じる機会がだんだんと多くなった。特に、先週あった「グループ企画制作」の作品に触れて、それを強く感じた。75人のクラスを10のグループに分けて、それぞれのグループで好きなことをやっていいという創作実習で、今年の「グループ企画制作」は映像作品が4つ、上演が3つ、インスタレーションが3つということだった。合評会で、一グループずつ全員が前に出て一言ずつ述べるようにいうと、楽しかった、勉強になったという反面、反省というと、グループで他人と一緒にやることの難しさを口にする者が圧倒的に多かった。互いにやり合って「返り血」を浴びたという言い方すら出てきた。グループの半分は、共同作業で一丸となって力を発揮するというより、分解寸前のぎりぎりのところで作品を支えていると見受けられた。上演作品はそれなりに纏まっているものとして見られたが、映像作品の中には、その纏まりの無さをもろに出しているものもあった。2年前だと、既に学生たちにとって共同作業が難しくなっていたといっても、それぞれの主張がそのまま生かされて、一種の殻を破った表現になっていたが、今年はそれぞれの主張の強さが表われず、崩れて行く過程が見えるような痛々しいものを感じさせられた。話を聞いて見ると、それぞれ提案を出して主張するが、ただ自分のやりたいことを言うだけで、それをグループ全体のものにするという考え方がないように思えた。自分たちグループの全体を考えないから、それぞれの考えの違いがぶつかり、ひたすら自分と違う相手を否定するということになり、互いに否定するところに落ちてしまうようだ。力を合わせなければと思いながらそれができない。自分を見失っているというより、全体を見失っている。これは、彼らばかりでなく、わたし自身にも言えることなので、気が重い。わたし自身、この社会なり、自分がやっている表現なりについて、全体像をどう考えているか、と問われれば心許ない。でも、この辺りから始めるしかないことも確かだ。