2003年2月1日から28日まで


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2003年2月24日

 MacOS X 事始め。


朝顔の種
  目の止まった朝顔の種

 事務の人から「個人研究費を早く精算して下さい」と声を掛けられ、聞いてみるといくらか自分で出せばeMacが買えそうな額が残っていた。研究室に置いてある初代iMacが疲れてきたので、その残り分にちょっと足して、eMacを買った。ようやくMacOS Xに触れることができた。わたしの研究室のMacは、最初のLC630、次いでiMac、そして今度のeMacで三代目になった。iMacは売り出されて直ぐ買ったもの。そのiMacは去年の夏頃から電源を入れてもディスプレイ上にうまく起動しないことがしばしば起こるようになった。コンセントを抜いて、暫く置いてから電源を入れ直すと起動するといった具合。そして、起動しても、そのままにしておくとフリーズしてしまう。家にあるPowerMac8500+G3カードもしばしばフリーズするようになった。困るのは、文字変換でフリーズしてしまうとき。それが重なって、最近、家ではWindows2000Proをもっぱら使ってる。で、あたらしいMacを買いたいなあ、と思いつつ、MacOS Xは話に聞くだけだった。そこに思いがけずeMacが手に入って、急にMac付いてきた。

 MacOS Xは全く始めてのOSに触るという感じ。デスクトップがそのままファインダーだったのが、今度はウインドウの一つのなってしまった。この辺りから戸惑った。何とかやって、iMacのデータをeMacに移したら、「NisusWriter」のファイルがテキストファイルになった。MacOS Xは「Terminal」でUNIXのコマンドが使えるというので、早速やってみた。  
 Last login: Sat Feb 22 19:59:34 on console
 Welcome to Darwin!
 [Macintosh:~] srys% ls -a
 . Documents
 . Library
 .CFUserTextEncoding Movies
 .DS_Store Music
 0??????????????????????????? Public
 0?????????????????? Sites
 2 ?????????
 Desktop
srysはわたしのログイン名で、そのわたしのホームディレクトリにどんなディレクトリとファイルがあるのかなあと確かめてみたところですね。それから、root userになって入ろうとしたら、
[Macintosh:~] srys% pwd
/Users/srys
[Macintosh:~] srys% cd /Users
[Macintosh:/Users] srys% ls
Shared srys
[Macintosh:/Users] srys% su
Password:
su: Sorry
といった具合に、パスワードを要求されて拒絶された。本で見ると、一般ユーザーがOSの中核に入れないように設定されているとか。次に研究室に行ったとき、その入り方を調べて入ってみよう。MacOS Xは面白うそうですね。



2003年2月18日

 新作映像作品『衰退いろいろ2002』の編集を始める。


DV編集のコーナー
  DV編集のコーナー

 先週、「イメージフォーラムフェスティバル」のエントリー締め切りの日に、素材を粗編集して持ち込んだ。去年一昨年と2年続けて彫刻家の海老塚耕一さんを相手に、彫刻について考えるという映像作品『極私的にEBIZUKA』『山北作業所』を作った。それで表現について考え直してみようと言う気が起こった。その考え直すというところに立って、今年は自分の身の回りのことを撮った映像を素材にして作ることにした。自分の身の回りを撮った映像といえば、庭の花とか、授業や合宿での学生たちの姿とかだ。そういう日常の映像を作品としてどう見せるか。それが問題だった。多摩美の卒業生で、3年前に『内面のお話』に出演してくれた山本遊子さんが、五月に『山北作業所』を見に来た時、「今度わたしを撮ってよ」と言っていたので、昨年の暮れ、彼女を訪ねて、彼女の談話を撮影した。小さなプロダクションでテレビのディレクターをしている彼女の話は、若い人の時代意識を反映しているように思えた。そこで、それを主軸に構成することにして、タイトルを『衰退いろいろ2002』とした。山本遊子さんが語っていることと、わたしが感じていることと気脈が通じるところがあって、それがわたしに取っての衰退ということだと思った。わたしにとって2002年は結構忙しい年だったが、世の中のデフレとも重なって、自分自身を含めて「衰退」ということを実感した年でもあった。これまでの考え方が通じなくなっている。微妙なところがあって、単純には言えないが、敢えて単純に言ってしまうと、「内面ということが通じなくなって、身体だけが残る」ということになる。

 さて、DVカメラで撮った映像の編集を始めて、またまた「Adobe Premiere」の使い方がおぼつかなくなっている。キャプチャーしてタイムラインに並べるだけならいいけど、そこに文字をスーパーさせたりしようとすると戸惑ってしまう。そして、「あれっ、文字を白くするのはどうやったけかな」というように初歩的なことも忘れている。勿論、黒い背景に白い字でタイプすればいいだけのこと。次に、字幕をスーパーさせるのは? というと、先ずタイムラインのビデオ2にタイトルファイルを置いて、「透明度の設定」でキーの種類を選んでから、キーフレームラインの透明度ハンドルをチェックして、透明度を変えてフェイドイン・アウトする、といった手順を踏むのだが、すっかり忘れている。この「透明度の設定」を行うには、タイムライン上のファイルを選択して、「クリップメニュ」の「ビデオオプション」からサブメニュを開いて「透明度の設定」をクリックしなければならない、という具合で、手順が込み入っているんですね。パソコンって、込み入った手順は使わないでいると直ぐに忘れる。話の編集も、いいところを選んで切って残すわけで、手間が掛かる。今年は昨年までの単純なやり方をちょっと変えて、始めからムービーファイルを全部タイムラインに並べて行くのではなく、それぞれのシークエンスを「プロジェクト」として独立させて編集して、それから全体のプロジェクトに、それぞれのシークエンスのプロジェクトを読み込むというやり方にした。誤ってプロジェクトファイルを損傷しても、回復がやりやすいというわけ。実際、今回、編集の途中で、パソコンの電源を飛ばしてしまうことが一回あった。パソコンはファイルが一挙に消えてしまうから怖い。現在、最初50数分だったのを、30数分までにした。来週中には何とか編集を終らせたい。


山本遊子さんの「今までの仕事」



2003年2月12日

 総て授業が終って、成績を出してほっと一息。


枯れたチューリップ
  枯れたチューリップの花

 先週の土曜日8日、1年生の「グループ企画制作」という表現活動の発表会の講評会があって、多摩美・映像演劇学科の今年度の授業が総て終って、9日の日曜日に3年編入の入学試験があった。一息ついて、いよいよ入学試験の期間に入る。映像演劇学科の一般入試はそのしんがりで、3月の11日と12日。それまでの間息が付ける。といっても、その一月の間にわたしは映像作品を一つ作ろうと思っているから、のんびりとしてはいられない。

 わたしはここ数年、毎年1年生と付き合ってきた。現在67歳だから、20歳前後の彼ら彼女らとのつき合いは、孫と付き合うという感じだ。生活意識の違いは勿論のこと、物事の考え方や人との関係の持ち方が、「違うなあ」と感じる機会がだんだんと多くなった。特に、先週あった「グループ企画制作」の作品に触れて、それを強く感じた。75人のクラスを10のグループに分けて、それぞれのグループで好きなことをやっていいという創作実習で、今年の「グループ企画制作」は映像作品が4つ、上演が3つ、インスタレーションが3つということだった。合評会で、一グループずつ全員が前に出て一言ずつ述べるようにいうと、楽しかった、勉強になったという反面、反省というと、グループで他人と一緒にやることの難しさを口にする者が圧倒的に多かった。互いにやり合って「返り血」を浴びたという言い方すら出てきた。グループの半分は、共同作業で一丸となって力を発揮するというより、分解寸前のぎりぎりのところで作品を支えていると見受けられた。上演作品はそれなりに纏まっているものとして見られたが、映像作品の中には、その纏まりの無さをもろに出しているものもあった。2年前だと、既に学生たちにとって共同作業が難しくなっていたといっても、それぞれの主張がそのまま生かされて、一種の殻を破った表現になっていたが、今年はそれぞれの主張の強さが表われず、崩れて行く過程が見えるような痛々しいものを感じさせられた。話を聞いて見ると、それぞれ提案を出して主張するが、ただ自分のやりたいことを言うだけで、それをグループ全体のものにするという考え方がないように思えた。自分たちグループの全体を考えないから、それぞれの考えの違いがぶつかり、ひたすら自分と違う相手を否定するということになり、互いに否定するところに落ちてしまうようだ。力を合わせなければと思いながらそれができない。自分を見失っているというより、全体を見失っている。これは、彼らばかりでなく、わたし自身にも言えることなので、気が重い。わたし自身、この社会なり、自分がやっている表現なりについて、全体像をどう考えているか、と問われれば心許ない。でも、この辺りから始めるしかないことも確かだ。







 
 















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