川俣正さんのゼミ「Cafe Talk」のゲストになった。
隣で話す川俣正さん。 |
昨日の27日、美術家の川俣正さんと「Cafe Talk」という公開ゼミで対談をした。川俣さんは、東京芸術大学美術学部先端芸術表現科の教授をしていられる。「Cafe Talk」はその学生たちが運営するゼミということだった。今年の春、話があって、川俣さんがゲストとしてお呼びたいといっているということだったので、「川俣さんがどうして?」という思いはあったが、わたしとしても興味のある人だったので引き受けた。わたしは川俣さんと会ったことがなかったので、先週、「Cafe Talk」のスタッフたちを交えて一緒に食事をした。その時、川俣さんが若い頃、わたしの映像作品「日没の印象」を見て印象が残り、それからエッセイなどを読み、詩も読んだということだった。昨日も、「日没の印象」と「時には目を止めて」を上映して、話の皮切りとしてそのことを話していた。川俣さんの美術家としての出発点で、わたしの日常性ということを押し出した表現が、何らかの印象を残した、ということだったんですね。
「Cafe Talk」はゲストに合わせていろいろなところで行われてきたようだが、今回は多摩美の上野毛キャンパスの映像スタジオで、4時から6時までの2時間だった。20分余りの映像作品2本を上映して、二人で話をするということだったので、話している方としてはあっという間に過ぎてしまった。わたしは、自分が「日没の印象」という個人映画を作ったのは、一つには映像の制度的な側面を意識していたこと、もう一つは表現意識のこととして、美意識や思想やその他もろもろの観念的な主張から降りたところで表現を実現しようとしたことなどについて話をした。「日没の印象」は一見ホ−ムムビーに見えるが、実は映像表現についての映画なんですよ、ということ。それから、現在の映像表現を考えた時、映像表現を「閉じられたもの」と「開かれているもの」に大きく分けることができるように思えるが、「開かれたもの」の方に可能性があるんじゃないか、というような話もした。ここで、作品形態のあり方と、所有ということと商品形態の関係のこともちょっと話した。
多くの映像表現は「ストーリー的展開を持つもの」で、劇場のスクリーンに上映されたり、ビデオ化されたり、また放送局から発信されたり、それ自体完結したものは大体この部類に入る。そのメディアに入れて貰えなくても、それを目指すものも、その部類としよう。それとは違って、作品がそれ自体では完結しないもの、見た人がその作品に触れたことで、何かイメージ的なチャンスを得られるもの、そういう映像を作品と認めたところで、「開かれた映像表現」が成立するのではないか、という考え方ということなんですね。
能瀬大助君の作品に「ラジオ体操の時間」という作品があるが、15分間、朝のラジオ体操の放送の音楽に合わせて上野公園で体操する中年の男女や老人を撮って編集したもので、この作品など、完結した作品から何かを受け止めるという見方に馴れている者にとっては、これで作者は一体が言いたいの?という疑問に陥ることになる。しかし、ちょっと注意深く見ている者だと、体操している人たちの衣服が替わり、背景の公園の木々も葉を落としたり、花を咲かせたりしてるのに気がつく筈なんです。作者は、何日も掛けて同じ時間の同じ場所を撮影して、ラジオ体操の放送に合わせて編集したというわけ。場所と時間が共通して、人は同じ人でも入れ替わっている。この入れ替えは、幾らでも可能だ。実際に、わたしはこの作品を見ているうちに、自分もラジオ体操をしてみたい気持ちなってくるのだった。見ている自分も入れ替え可能な対象になる。このことがわたしにとって驚きだった。映像表現の「開かれたもの」の例として、話の中でこの能瀬君の作品を例に挙げたのです。作者が中途半端に出しゃばってこないところがいいな、と思うんですね。
終わってから、近くの飲み屋に行って、川俣さんと伊藤さんと学生たちと話をしたんですが、川俣さんが木材を使って作品を作り始めた切っ掛けの一つとして、学生時代に大学のアトリエで絵を描いている時、同級生の作品より、立てかけたキャンバスの間から人の姿が見えたり、使った筆の減り具合を見たり、或いは友人たちのアトリエに行って、そこで使われているものを見るのが好きで、そういう表現の作業を辿るのが面白かった、そういうところから、工事中というような作品を作ることになったんでは、と話しているのが印象に残った。わたしには、彼の戦略を立てながらも、洗いざらい話して行くというところが、いい印象でした。8時半頃まで話をして、その後、わたしは多摩美の2、3年生たちの電車内で乗客に混じって演じられるという一種の状況演劇を見に行った。で、電車に乗って座ったら、隣の漫画を読んで声を出して笑う女性が女装の演技者だったんですよね。でも、彼女の反対側の隣の男も、電話で大声で話したり、ネクタイを出して締めたりして、彼も演技者かという疑いがつきまとい、それからというもの、その他の乗客たちも、明らかに演技者ではないおじさんたちも、みんな演技しているように見えてきて面白かったですね。
たちまちのうちに暑くなった。
真っ盛りの紫陽花の花。 |
夜の紫陽花の花。 |
この一週間の間に半袖に替えた。月曜日の16日頃は昼間出掛ける時はまだ長袖のシャッツをきて腕捲りしていたが、木曜日から半袖になった。その木曜日に、学生たちがわたしのフィルムの上映会をやってくれた。5本の作品を午後の1時から5時までに上映して、5,6人の学生とわたしも一緒に見た。その中に「15日間」があった。15日間毎日その日のことをカメラに向かって5分間位ずつ話すという1980年の作品だ。80年当時は辛気くさい作品と思われていたが、何年か前に横浜美術館で上映した時は、若い人から笑い声が起こったが、今回も、映画の中のわたしが、始めのところで後ろ向きで深刻そうに話し始めると、みんなが笑った。わたしもその笑いに誘われて可笑しくなって笑ってしまった。20数年前の自分だが、冬眠から目覚めた熊みたいに怖ず怖ずしているところが何とも可笑しかった。多分、若い学生たちと一緒に見たのでなければ、こういう感情にはならなったと思いますよ。
さて、この一週間は、先週作った「ホームページの作り方」に明け暮れた。読み返してみて、説明が不十分なところがやたらに目につくので、書き直し、また書き直しという具合になったわけです。自分では解っていても、初めて「ホームページ」というものを作ろうとする学生には、これじゃ、分かんないのでは、という思いが次々に湧いてくる。そして、もうちょっと格好良くしたいという思いも湧いてくる。それで、表紙のリンク字の部分をマウスオーバーで色が変わるようにしたり、色名や数値を入れてクリックすると「背景色が変わるページ」を作ったりもした。実際の授業で、「MacOS XでHTMLファイルを作るやり方」を聞かれて、おやおや、そういえば「SimpleText」がなくなって、「テキストエディット」で「.html」の拡張子をつけて保存できるのか、ということも問題になった。
「テキストエディット」の環境設定を「default」のままでは、「HTMLファイル」を書くことはできない。たとえタグ付きのファイルを書いても、「.html」付きのファイルでは保存できないからだ。保存名に「.html」の拡張子をつけても、リッチテキストの「.rtf」付きのファイルになってしまう。「test.html」というような「HTMLファイル」を「テキストエディット」で開くことはできる。開くと、ブラウザで開いたようにタグの指定通りに表示される。最もわたしの場合、日本語が文字化けしたが。そして、これを保存すると、「.rtfd」付きのファイルになって、タグはすべて失われてしまう。そうこうして、半日ほどいろいろやっているうちに、「テキストエディット」で「HTMLファイル」を書くやり方を見つけた。これからはMacOS Xを持った学生が増えるから、と思い、このページもアップした。
ホームページを格好良くするには、Flashなどのソフトを使えばいいのだろうが、手作りでやる場合はスタイルシートで細かい指定をして行くことになる。そこで、その「カスケーディング・スタイルシート(CSS)」の本を買ってきて読んでみたりした。ある本には、「HTML」はやがて「XHTML」に変わっていくだろうと書かれていたが、「CSS」も「CSS1」から「CSS2」に変わり、現在「CSS3」に移行しつつあると言うことだった。素人には余り関係ないけど、「CSS」というのはHTMLタグの属性をフルに使えるので、それだけ思いのままに表示画面をデザインできるというわけらしいです。例えば、先ほどのマウスでなぞると色が変わるというのは、その<sapn>の属性を”スタイルstyle”で指定していたのですね。この緑の枠の中の字をマウスで触って見て下さい。
「タグの属性」の指定でこんな風に変わるというのはちょっと驚きでした。「HTML」も「CSS」も、もっと勉強ししようという気になって来たところです。後期には、この「CSS」を学生たちに教えることにしようと思います。<span style='backgroundColor:#F9F6BD;font-size:14pt;font-weight:900' onMouseover=this.style.backgroundColor='lightgreen' onMouseout=this.style.backgroundColor='#F9F6BD'>ここに背景の色が変わる文字を入れる。</span>
「ホームページの作り方」サイトを作る。
庭に咲いたかたばみの花。 |
先週から一週間かけて「ホームページの作り方」というサイトを、多摩美の映像演劇学科サイトに作った。昨年の秋、半期で、わたしが担当しているゼミで、学生たちにホームページ作りを教えたが、その出来はまちまちで、満足のいく授業には程遠かった。それで、今年は一年かけて教えることにした。授業のやり方も、去年は配ったプリントを元に、白板に書いて説明して行ったのだったが、今年はちょっと変えて、ノートパソコンを使って、プロジェクターで映写して説明するというやり方にした。ノートパソコンに教える内容を毎週書いているうちに、これに手を加えれば、ゼミに出てない学生もそれを見て、学科のサーバーを使って自分のホームページを作れるようになるかもしれないと思い、「ホームページの作り方」サイトを作ることにしたのだった。しかし、いざ始めてみると結構思いの外、手間がかかった。傍らについて教えていても、思いがけないことが起こって、お手上げになることもあるので、これで万全ということにはならないでしょうが、一年かけてどこまで出来るかやってみたい、という思いです。
今の学生はもうコンピュータに堪能だろうと思うと、そうでもない。確かにコンピュータに対して年配の人のように物怖じするということはない。でも、意外だったのは、携帯を持ってない学生は一人もいないのに、キーボードに馴れてない学生が結構いたことだった。携帯を3台持って使い分けている学生が、ローマ字キーを探している姿は可笑しかった。でも、暫くするとたちまち使いこなしてしまう。タグを打って、表示すると、自分の打った言葉が出てくると声を上げる。背景の色を変えて表示すると、色が変わるのでまた声を上げる、といった調子でホームページ作りは進んでいっているところです。
思いの外に手がかかったのは、知っているつもりで知らないことがあって調べたり、いろいろと書いているうちに、学生たちがコンピュータやインターネットについての知識をほとんど持ち合わせていないことに気が付いて、では、用語解説も入れようなんて思って、解説のページを作ることにしたからだった。そればかりではなく、いろいろなブラウザーで試して見てみると、MacOSXのIEで、何故かトップページのリンクが利かなくなる現象が起こったのです。表示して、リンクをクリックしてもうんともすんとも言わない。WindowsでもMacOS9でも大丈夫なのに、MACOSXのIEだけがダメなのです。どうして?ということになりますよね。
始め、1文字ずつ表示されるJavaScriptを使ったので、そのせいかな、と思ったのですが、そうではないらしい。で、そのページに使ったタグを調べていくと、<DIV>の設定で、表示範囲の幅(width)は設定したのに、高さ(height)を設定してなかったのを見つけて、それがリンク設定のフォントにかからないようにしてみたら、リンクが利くようになったのです。つまり、高さが設定されてないので、その<DIV>以下が全部<DIV>で覆われてしまっていたということなのです。<DIV>の範囲の設定というのは、レイヤーを作って、それを被せるというということなんですかね。MacOSX以外のOSではそれほど厳密に<DIV>の設定を受け止めてないのに、MacOSXはこの<DIV>の高さの指定のないことを、そのページの<DIV>以下の全面に及ぶように働かせていたのでしょう。なるほど、そうかあ、ということですね。それにしても、MacOSXはちょっと特異なところがありますね。MacOSXのデスクトップでホームーページから保存したjpegファイルを、ethernetで別のMacOS9のマシンに持って行って、Photoshopで開こうとしたら、何と、アイコンが「フォルダアイコン」になっているんですね。ファイルが移動させたら、旧Macでフォルダ扱いになってしまうなんて考えられません。不思議です。MacOSXは馴れるのが大変だ。
「ヤングパースペクティブ2003」の作品(その2)。
咲き始めたあじさいの花。 |
先週に引き続いて、5月30日の2プログラムと6月1日の4プログラムを見て、イメージフォーラムの「ヤングパースペクティブ2003」のプログラムを全部見た。数えてみると、長短合わせて51作品を見たことになるのですね。それぞれ工夫した作品だったので、結構楽しめた。一昨日は、プログラムの間に、わたしの先週の「曲腰徒歩新聞」を読んで見に来た詩人の北爪満喜とお話しすることもできてよかった。日曜日は4プロで、終わると9時を過ぎてしまい、青山あたりでは、食べ物屋が殆ど閉店してしまうので、二週続けて、宮益坂の「せぴあ」という同じ地下レストランで食事することになった。25日は「Father Complex」の作者の佐俣由美さんと、6月1日はKプロとLプロを見に来た詩人の辻和人さんと、それぞれ一緒にビールを飲み、その店特製の「黒豚角煮丼」というのを食べ、佐俣さんとは彼女の映画について、辻さんとは見てきたばかりの映画の話をした。「黒豚角煮丼」はなかなかいける味でしたよ。
さて、30日と1日に見た6つのプログラムの14作品はすべてストーリーのある、いわゆる「ドラマ」作品だった。その中の中国正一作品「815」は140分、吉川久岳作品「凪」は90分、厨子健介作品「トーキョーポップコーン」は74分、後は30分から40分のもので、9分の作品が二つあった。ストーリー物は増える傾向にあり、イメージフォーラムの沢さんは応募作の半数を上回るといっていました。DVカメラとパソコンのDV編集ソフトが普及して、手軽に映像作品ができるようになったということもあるようですが、もう一つ、表現意識の変化ということもあるのではないかと思います。そのあたりのところが、わたしの関心を引くところ。51作品の一つ一つを見ながら、作品からやや離れたところで、それぞれの作品の成り立ちを考えていたというわけ。辻和人さんと話していたら、東浩紀という人が「大きな物語が凋落して、小さな物語になり、更に物語消費からデータベース消費へと進んでいる時代だ」と言ってますよ、ということだった。
「815」はまさにそういう作品だった。作品は、古事記の神々を演じる一風変わった役者たちの奇行から始まり、在日三世の女性が結婚の話が出て、自分の民族性を考えるようになり、祖父の韓国の故郷を訪ねるというまでが前半で、後半は博多のセックス産業の話になり、出前の売春婦と客とのやりとりで終ってしまう。始めは、半島と日本の歴史的な展開を背景に、新たな民族関係を探る映画かな、と思っていたが、民族と血の関係がいつの間にかセックス産業の話にすり替わって、まさに国家とか民族とか大きな物語から、セックス産業のデータベースの消費と云えるものに展開して行くのだった。話の展開に焦点を置いて見るとつまらないが、よく分らないけど兎に角力を入れて作っているところ伝わってくるので、何でこんなに力を入れて作っているのかと思わさせられてしまい、そこが面白かった。本当に、何であんなに一生懸命に映像作品を作ることになるのでしょうでしょうね。
「トーキョーポップコーン」は、OLの若い女とポップコーンが好きな無能な男の話。会社の受付嬢をやっている若い女性が、海外旅行から帰ってくると、自分の部屋に見知らぬ男が住んでいる。問いただすと、二重契約だと分り、翌日大家を訪ねると、大家は倒産して夜逃げしていて、家も建て壊されている。仕方なく二人は共同生活を始める。男はポップコーンが好きな無能者だが、掃除が好き。そのうちに隣の商売女に掃除を頼まれて金を貰うようになる。しかし、一緒に住んでる女は、ださい男が嫌で、住み込みの引っ越し人夫になるように世話して、彼は彼で雇われて出て行く。しかし、その男の存在と彼女が両親と喧嘩して断絶していることが恋人に知られて、恋人とは別れることになってしまい、結局、またポップコーン男を求めて一緒に部屋を掃除するようになる、というストーリー。破綻なくよくできているなあと思いながら、しかし、余り面白くないのですね。何で面白くないと考えていたら、要するにコミュニケーションの行き違いと心の通じ合いということを主題にして、いろいろと考えて作られているが、これは映像作品をゲームのように考えて、その要素を集めて組み立てる、という仕方で作られているからではないかと思えてきたのです。作者の表現を求める気持ちより、作品を作りたいという気持ちの方が勝っている。つまり、生きている作者の姿より、作品を作りたいという作者の姿の方が見えてしまう。遊ぶ手つきだけ見えて、それが圧倒するようなものでないので、つまらないと感じてしまうのだろうと思ったのです。まあ、そういうことを考える格好の素材ではあったのですが。
わたしが面白いと思った作品は、清水継祐作品「太陽系第3惑星」と落合りう作品「梨のつぶて」でした。「太陽系第3惑星」は、簾が壁に掛けられた部屋で、簾をかぶせたテーブルの上に丸い水槽を置き、そこに小さな魚を入れて、観察日記を書くためにその魚を観察し続ける女子中学生が、魚に餌を与えるために蚊や蠅やその他の虫を捕り、その魚が塩水系の魚なので、麦茶を飲んだりアイスクリームを食べて汗をかき、自分の汗を水槽に滴らし続け、ついに魚の声を聞けるようになるが、ここはアニメになっていて、魚が口にするのは、人間のわずかのことばと無限に続く円周率だけというもの。こちらは魚と言葉は交わせるようになるが、会話にならないという話ですね。映像は、部屋の中で水槽の魚と睨めっこする彼女、汗を水槽に滴らせる彼女、アイスクリームを嘗めすぎてお腹が痛くなって便所に駆け込む彼女、その便所で蝿か蚊をたたくのが上達する彼女、そして魚のアニメ、そして彼女の腹部、下腹部あたりの裸体の二重映像、夜店、花火などが展開する。まあ、性に目覚めた頃の女の子の孤独な心情が、円形の水槽、小さな魚、乾いた簾とべとべとに溶けたアイスクリーム、蚊をたたき殺す仕草などなど、彼女の感性に訴える事物を比喩化して語られているわけです。爺さんの目からすると、小さい魚など、その形態からして、男根を想像させられます。小さなおちんちんが無限に続く円周率を呟いているなんて、いいですよね。もっともこれはわたしの妄想に過ぎないかもしれません。
「梨のつぶて」は、市場に勤める男がアパートの自室の窓から、ビデオカメラで隣の棟に住む姉妹を見続けて、この姉妹が彼から送られてきた写真で覗かれているのに気が付き、妹が姉と別れて一人で暮らしたいというようになるという、それだけの話。でも、この姉妹がレスビアンのようでもあり、画面がぼけていたり、フレームも定まらなかったりで、何故かあやしい感じがする。よく分らないけど、ひょっとしたら人間関係の深みが語られているのかも知れない、と思わせられところがよかったのですね。不思議な魅力でした。まあ、作者は映像を生きているということは確かです。
映像を生きる、なんていってしまったけど、実際、クレジットタイトルを見ると沢山の人が参加しているわけで、みんな何処に向かっているのかなあ、という感想を抱いてしまう。もしかしたら、作者たちはこれらの映像が巨額の金銭の動きの中に割り込んでいくことになるのを予感しているのかも知れないのですね。