2003年5月1日から31日まで


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2003年5月26日

 「ヤングパースペクティブ2003」の作品(その1)。


あじさいの蕾
  盛り上がってきた
あじさいの蕾。

先週の月曜日の「誕生日記事」で「おめでとう」のメールを貰った。改めてありがとうございます。家族のお祝いでは、次男の野々歩がベゴニアの鉢植えを買ってくれた。息子から花を貰うなんて初めてのことで嬉しかった。そして、日々は瞬く間に過ぎて行く。来週には庭のあじさいの花が咲き始めそうだ。

 先週の金曜日から始まった「イメージフォーラムフェスティバル2003」の第1次審査通過作品の上映「ヤング・パースペクティヴ2003」の6つのプログラムA、B、C、D、E、Fを、金曜日と日曜日に見てきた。長短併せて37本、日曜日は午後の1時から8時までの4プロで、いささか疲れた。いくつかは既に見たものもあったが、新しい発見もあった。その「プログラムB」は「家族へ、友達へ」とタイトルが付いていたが、素材が家族や友達を扱った4本の作品だった。その内の佐俣由美さんの「Father Complex」という作品には驚き、強く印象に残った。驚いたのは、携帯電話で、ためらい勝ちではあるが、自殺した父親に対する気持ちや、自分の家族のことを赤裸々に語っていたからだった。そして、訴えたい気持ちが溢れてくるように感じて心を動かされた。

 家は農家で、父親が精神的におかしくなり働かなくなり、母親は父親の悪口を子どもに言い、祖母はそのことで自殺してしまい、父親も自殺してしまう。作品では、その父親の対する感情が語られている。猫を沢山飼っているが、ある時父親が生まれたばかりの子猫を捨ててきたと言ったが、ビニール袋に入れて河原に置いてきたというので、そんな苦しんで死ぬような捨て方をした父親に怒り、子どもの自分が命の大切さ親の言わなければならないことはどういうことだろうと思ったという。そして父親の葬式で、お清めの時に、親戚の人に酌ををしようとしたら拒まれて、悔しくて便所で泣いたともいうことだった。そして、そういう自分の家のことが心にわだかまりになって、友達とも普通につきあえないように感じていたが、この作品で吐き出してしまったのでさっぱりした、と言って終る。これらのことが、自分の部屋で誰かに向かって携帯電話で語られるのだ。映像は、自分の実家の父親が自殺したところや、生前の黙って座ったきりの父の姿や、荒れた家の中にいる沢山の猫、また近くの湖の水面のきらめきなどが、自分の部屋で携帯電話でそれらことを語り続ける作者自身の姿と交互に編集されていた。

 心動かされたということで、考えてみると、この佐俣由美さんの「Father Complex」には表現の原型があると思った。言えば人から嫌われるかもしれないが、言わないではいられない気持ちがあって、それが大学の映像作品を作る実習で堰を切るように出してしまった、ということのように思える。言わないではいられないことを言う。これが表現の基本ではないだろうか。それをまざまざと感じさせてくれる作品だと思った。そして、そういうことが、表現の実習として作品を作る局面で出てきたということが、考えさせられるところだ。多分、わたしやわたしの同世代以上の人間なら、人とは違う「不幸」を背負っているという自覚は、作者の表現の源泉になるところとして、内側に留めて置くであろう。そういう個人的なことは、他人には伝わらない、と思うからだ。それを元にして、自分の存在を他人に認めさせるように、作品を創って行くことにする。ところが、佐俣さんは、わたしから言えば「表現の源泉」となるところを開示するところから表現を始めてしまっている。この違いが、現在の「表現の問題点」なのではないかという気がする。考えていかなければならないところと思う。

 「ヤングパースペクティブ」の同じプログラムには、根塚潤君の「返事のないインタビュー」という作品もあった。これは、高校時代の同級生だった大学生の友人が失踪して何の連絡もないので、その失踪する前の足取りを探るという作品で、その失踪した友人の家族や大学の学友、彼が入っていたと思われる宗教の研究会などを訪ねてインタビューするというものだった。結果的には、彼が何処へ行ったのか、また彼が何を考えていたのか分らず、コメントで「彼の周辺にいても、彼に触れていたものはいなかったのではないか」というようなことが述べられる。わたしは、この根塚君の作品と佐俣さんの作品が対をなしているように思えた。佐俣さんは自分を作品で開いて見せたが、失踪した「彼」はそうはしなかった。佐俣さんの「表現」は一方にその「彼」のような存在を踏まえている、というわけだ。若い人たちの作品を見ていると生きているということのスリルを感じさせられて、いろいろと考えさせられるんですね。



2003年5月19日

 今日で68歳になった。


初物のトウモロコシ
  スーパーで買った
  今年初のトウモロコシ。

 2003-1935=68というわけで、2003年の5月19日はわたしの68歳の誕生日。身体検査の結果は、身長167cm、体重78kgで太りすぎ、それに運動不足で、今年の2月末から左脚が痛い。5月の始め、足がうまく上がらないで、ビルの入り口で転んでしまったのはショックだった。身体が思うようにならなくなって来ている。年を取ったのですから、仕方がないですね。もうあと10年、大丈夫だろうか、という気持ちが動く。新聞の記事などに、「2010年ごろには、、、」などと書かれていると、それまで自分は生きているのだろうか、という思いがふっと湧いてくるんですね。また、赤ちゃんを見ると、この子が大人になる頃にはわたしはもういないことははっきりしていると考える。還暦の頃から2、3年前までは、自分の考えを纏めてみたいと思っていたけど、最近はそんな思いも無くなった。直面したことを、延ばさないで、その場で片づけて行こうと、と思っている次第です。

 最近のわたしの日常生活は、目が覚めるのがだいたい7時過ぎで、ベッドの中でNHKのテレビ小説をBS放送で見て、その後続けて、「トクダネ」というニュースワイドショウを8時半か9時頃まで見て起床。朝食はミルクティーを沢山飲んで、野菜ハムサンドを食べる。食べながら、「東京」「朝日」「日経」の3紙を10時半頃まで読む。それからトイレに行って、仕事部屋に行き「日録」の昨日のことを詳しく書くのですが、その昨日自分が何をやったか思い出せない日もある。それから、自転車に乗って、近所の接骨院に行って脚をマッサージして貰い、帰りに握り飯とか饅頭とかを買って帰る。「岬屋」という和菓子屋さんなんだけど、以前、店に「漁夫生涯竿一本」と書いた書が掲げてあった。家に帰ると、もうそれで12時過ぎになっている。回り道して本屋に行くこともある。本屋ではだいたいパソコンの本しか見ない。帰ったら、パソコンの前に座ってメールやインターネットを見る。そして握り飯を食べたりする。大学で担当授業のある日は、一応講義の準備をして3時か4時には家を出る。代々木上原から地下鉄に乗って、表参道と二子玉川で乗り換えて上野毛で降り、蕎麦屋の「さくら庵」で腹ごしらえするか、コンビニで弁当とボトルを買うかして多摩美の上野毛キャンパスに行く。授業は6時から9時10分までだが、その後学生と話したり何かして、下校するのは10時を回る。早く帰れば風呂に入ったりする。遅いときは11時頃、学生と飲んだりすると12時過ぎか1時頃帰宅となる。暑いときは汗をかくからシャワーを浴びる。それから、リンゴと牛乳を口にして、夕刊を読んだりメールを見たりして、寝るのは1時半から2時半の間になる。大学に行かない日は、パソコンと向き合うか、ベッドに寝転がって、刑事物ドラマの再放なんか見てますね。この生活パターンはここ数年ほとんど変わらないです。

 わたしはパターン通りの生活が好きで、何かとパターン化しようとする。パターンの中でちょっと変化を付けて面白がるという具合だ。「イメージフォーラム・フェスティバル」の開催中などは、パークタワーホールへ通うのが生活パターンとなり、そのプログラムの合間や行き帰りの道筋に変化を持たせて、パソコン店を回ったり、喫茶店で過ごしたりしていた。食べ物屋も食べるものも決まっている。上野毛の「さくら庵」では「きじ焼き定食」というのが定番になっている。また、「さくら庵」では相撲中継をやっていれば必ず見るので、場所中は、わたしが行けば、店の人は必ずテレビを相撲中継のチャンネルにしてくれる。この蕎麦屋のデリバリーボーイのかっちゃんとは、パソコンの話が通じる。彼は映像編集関係のフリーソフトに強い。弁当を買うときは、表参道から銀座線で渋谷で降りて、エスカレーターで地下まで下って、東横デパートの食品売り場で鰻弁当を買ったりすることもある。しかし、これも月に数回のパターンなのだ。勿論、代々木上原駅のホームの乗る場所も、表参道の乗り換えの階段も決まっている。こういうことは、いい方を変えると、生活は、モジュールとテンプレートから成り立っているというわけですね。

 このパターンがずっと続くかというと、そうでない。それが面白い。20代、30代、40代、50代と今とは全く違う生活の形を持っていた。20代の初めの頃は、国会図書館とアテネフランセと新宿の名曲喫茶「らんぶる」の地下室に通うのがパターンだった。モリエールの戯曲とバルザックの小説とフランス語とクラシック音楽にどっぷり浸かっていた。30代のパターンは、勤めの帰りに立ち寄る東京駅八重洲口のアートコーヒーで過ごす時間、そこでわたしは、家に帰って原稿を書くために、何かノートを取っていた。40代から50代の半ばまでは、新宿や渋谷の決まった喫茶店で原稿を渡すというパターン、「トップ」とか「トップス」とかいう喫茶店、それから中古カメラ店巡り。近頃、中古カメラ店など全く行かなくなってしまった。もっとも、原稿を渡すということもなくなった。59歳を越えたところで始めたパソコン、10代から途絶えていた秋葉原通いが始まった。秋葉原の電気街を歩く道筋のパターンが出来た。地下鉄を末広町で降りて、中央通りの西側の裏道を歩いて、パーツショップを巡り、JR秋葉原付近に戻ってきて中古屋を覗き、書泉で本を見たあと、また地下鉄の乗るかJRで新宿に出るか、新宿でれば小田急地下で何か食べ物を買ってタクシーで帰宅する、ということもあるあるわけ。そういえば、新宿ではバーに行くこともあるけど、飲みに行くというパターンは持ってないのですね。

 さて、残り少ない年月をどういうパターンで過ごすことになるのでしょうね。もう少し詩を書く時間を生活のパターンの中に持ちたいとは思うのですが。「詩を書く」という生活モジュールをちょっと改造しなければと思っているところなんで、厄介なところがあります。あと後片づけをささあーっとやってしまうパターンも習慣づけたいものです。そうそう、わたしには旅に出るというパターンがないんですね。どちらかというと、旅行は嫌いです。と言っても、札幌から東京までの車窓を見続けたというような旅はしてみたいと思うこともあります。





2003年5月12日

 「IFF2003」も終り、もう5月も半ばになった。


ジャスミンのの花
  庭に咲いたジャスミンの花。

 もう5月も半ばですね。「イメージフォーラムフェスティバル2003」の東京・横浜での開催も終って、毎週、午後から出掛けて多摩美で授業して、夜遅く帰るという平常の生活が始まったところです。「曲腰徒歩新聞」の更新が出来なかったのは、先ずは書肆山田発行の「るしおる」に載せる詩を一つ書いて、「イメージフォーラムフェスティバル(IFF)2003」の会期中、パークタワーホールに連日通っていて、更にその上、「衰退いろいろ2002」のクレジットタイトルにタイプミスがあるのが上映して判り、タイトルを直して再録画しようとしたら、これがすんなりと出来なくなって、いろいろとやっている内に、あっという間に日が経ってしまったというわけです。実は、左脚が痛くて、引きずって歩くということも重なって、動きが鈍かったということもあります。とはいっても、5月1日には待望の「Power Book G4 17"」をとうとう買ってしまいました。

 「IFF2003]には「A」から「T」までの21のプログラムがあったが、わたしはそのうち15のプログラムを見ました。数えてみると日本人の作品と外国人の作品と長短合わせて、76作品を見たことになる。といっても、1週間経った現在、題名を見ても内容を思い出せない作品が幾つもある。これは、今回に限ったことではなく、学生の発表会などでは、見終わって会場を出たところでもう忘れているというのもある。映像作品って、印象に残らないものは本当に残らない。でも、何かちょっと切っ掛けがあると思い出すというのもあるんですね。「どんな作品だったっけ?」「あの壁の前に女が立ている、、、」「ああ、あれね」といった具合。映像に限ったことではない。詩も、読むそばから忘れてしまうものもある。これって、表現する者には辛いところですね。表現を指導している立場としては、「印象に残る作品を作れ」といいたくなる。じゃあ、印象に残るにはどうすればいいのか、となると、結構難しいことだ。

 そこで、一番印象に残った作品、となると金井勝さん「スーパードキュメンタリー 前衛仙術」だった。金井さんは自宅の小さな庭に草花や葡萄やアケビなど実のなる植物を育ているが、その庭に雉鳩が来て、営巣して雛を孵し小鳩が巣立ちするまで育てる。その草花の開花や雉鳩の営巣の有様を撮影した映像を、只の記録として見せるのでなく、金井さんは、自分を仙人に仕立てて、すべてそういう自然現象を自分の仙術の結果だと語る作品になっているんです。歌を詠んだり掛け声を掛けて花を咲かせたり、飛行の術を試みたり、コンピュータ編集の技術を使って見せる。金井さんの気合いと雉鳩の営巣の営みがマッチしてくるところがなかなかの見物になっていました。金井さんは1936年生まれだから、今年67歳になる。仙人を演じるのにぴったりの年齢だ。でも、それを実際に演じてみせられると、凄い気迫が伝わって来る。気迫を伝える個人映画なんて今まで見たことがなかった。

 外国作品で印象に残ったのは、Sプログラムの「母」という16分の短いビデオ作品。オクサナ・プラヤ-アウルスケヴィチというリトアニアの人が作者。貧しいコンクリートのアパートの一室で、父親は酒によってくだを巻き、母親は近所の人とお喋るに夢中になっている。そこで、二人の男の子の兄弟と二匹の猫が活発に、棚の上や床を走り回るゴキブリを叩きまくるというだけの作品だった。話せばどうということはない作品だが、便器から顔を出したり、棚のガラス瓶をよけて歩き回る猫が可愛かったし、大人たちにかまわずゴキブリを叩き、最後に隣人の男から叱られる子どもよかった。家族を紹介するナレーションも、作者のコメントもない。そんな具合に人が生活しているという驚きが伝わってくる作品だった。

 今年のグランプリ作品は、神戸に住む高校生の佐々木友輔君が作った「手紙」という作品。最初のところで、男子高校生が放課後別れて帰るシーンがあって、その後は最後まで70分余り携帯電話のメールの遣り取りの画面が続く。一人の友人の自分に対する気持ちを確かめたいのだが、遠回りして別の友人にメールしてそれとなく探り、最後に直接メールして返事を待つというところで終る。画面に映るのは、2、3行ずつ書いては送る文字の打ち込みと変換の画像、それとベッドの片隅に置かれ、着信を知らせてランプを点滅させる携帯だけ。メールの言葉から察しられる心の動きと携帯の電話機のイメージが、見ている者の心に焼き付けられる。たどたどしく言葉を打つ指先が、少々退屈だが、見る者の気持ちをつなぎ止める。大賞と取って、佐々木友輔君としては、「やったね」というところでしょう。



PowerBookG4
  とうとう買ってしまった
  待望のPower Book G4 17”

 さて、5月1日「IFF2003」のGプログラム、213分の白川幸司作品「眠る右手を」を見た後、パークタワーホールから西新宿のソフマップに、脚が痛いのに歩いて行って、「Power Book G4 17"」を買った。今年の1月以来、Macの買い換えにはこれと決めていた。2月に研究室のeMacを買って、いろいろとやっている内に、どうしても自宅で使うMacを買い換えたいという思いが強くなった。自宅のMacは、1996年のPowerMac8500で、肝心なところでフリーズするようになって、自宅での常用マシンは自作のWindows2000 Proになっていた。もともとMacユーザーだったからMacに戻りたい気持ちがあった。そして、大学で買った研究室のeMacのMacOSXをやってみて、そのいろいろと出来るところがすっかり気に入った。ほとんど待ちきれないという感じで、いよいよ発売されるというのを待って購入したわけ。欲しいから買ったのだけど、何か自分に言い訳をしないではいられないんですね。何台もパソコンを買うので気恥ずかしい気もします。

 ノートパソコンの画面が17インチというのは広い。画面が目の前になるので一層そう感じる。やはり、OS Xは今までと違って戸惑いの連続。LANではWindowsに直に対応しているので、「サーバへ移動」からWindowsの共有フォルダーにアクセス出来るので便利になった。Power Bookからのアクセスは出来たが、Windowsマシンからアクセスしようとすると、IDとパスワードが要求される。セキュリティが厳しくなった。困ったことは、現在、LANにつないでいるエプソンのEM-900CNのドライバーがよく判らないので、IPプリンターの設定で印刷したら、ポストスクリプト・プリンター用のデータになって、「印刷テストです」というたった1行のファイルが10ページ以上の、訳の分らないスクリプトファイルになってプリントされてしまった。

%!PS−Adobe−3.0
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%%Pages:(atend)
%%Title:(343¥203¥225¥343¥202¥232¥343¥203¥252¥343¥203¥263¥343¥203¥210¥343¥203¥206¥343¥202¥271¥343¥203¥210)
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%%CreationDate:くSunday,May、11 2003 08:50:44 GMT)
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/dI・/defineresource
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/F/false
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/J/setline?a?
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

というようなもので、吃驚した。研究しなくてはなりません。

 ファイルの階層構造がすっかり変わってしまって、何がどこにあるのやら判らないので一つ一つ調べなければならない。ちなみに、Winows2000で使っているIEの「お気に入り」をPowerBookのIEの「お気に入り」にエクスポートしようとして、直接持っていくやり方が判らなくて、先ずWin2000のCドライブにbookmark.htmlファイルとしてエクスポートして、PowerBookからWin2000にアクセスしてそれをコピーしてインポートしたといった具合です。MacOSXのIEの「お気に入り」のフォルダーがどこにあるのかまだ判ってないので仕方ありません。この調子では使いこなせるまでに暫く時間が掛かりそうですね。でも、その時間は嬉しい時間です。







 
 















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